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自分の視点を意識する

更新日:8月29日

もし自分の親しい知り合いが、ある人物と出会うことによって(仮にAとしよう)、命を落とすような事件に巻き込まれたとしたら、あなたならどう感じるだろう。

Aが善良な人間であって、かつ、命を落とした自分の知り合いが、Aを深く慕い、尊敬いたとしたら、どうだろう。多くの人は、Aが善良で尊敬すべき人物であったとしても、その出現を呪い、おそらくはAに対し恨みを覚えるのでは、ないだろうか。


そしてその命を落とした人物が、親しい知り合いどころか、自分の家族、自分の子どもだったら、あなたはどう感じるだろう。


ロビン・ウィリアムス主演の映画「今を生きる」は名作と評されることが多い。ロビン演ずる先生により、何人かの学生は、学校や良心にの押さえつけられていた本当に自分を見出し、あらたな希望を見つける、そんな希望に満ちた中でストーリーは進行する。実際に、この映画の中の何人かの男子生徒は、眠っていた新たな自分を発見し、全く違った生き方を選択しようとする。

しかし、その一方、自分生き方の理想に目覚めたばかりに、現実とのギャップに悩み、しまいには自ら命を落とす、という悲劇も描かれている。


そうこの映画の中で重要な役割を果たす○○演じる○○は、このギャップに耐えられずに、自らの命をたってしまう。気づかなければ、いや気づいていてもあきらめれば、こんな悲劇は起こらなかった、そんな見方もできる映画である。

この映画を最初に見た当時、私には生まれて5歳になる息子がいた。この映画の主要な普遍的でとても重要なテーマ、生きるということはどういうことなのか、それは十分に理解していた。にもかかわらず、この映画を受け入れることは難しかった。

父親として、自分の息子が自ら死を選ぶ、あの両親の苦しみが痛いほど胸に突き刺さったからだ。


私の視点は、当時に自分の視点に強く固執していた。子を持つ親としての視点である。だから、あの映画のストーリーの中で、自分の息子に自分の理想を押し付けるある種の悪役である頑固な父親に完全に同化していたと言えよう。共感というよりも、父親その人の役を演じている、そんな感覚だったと思う。


このように自分の立場に視点が固定されると、視点そのものの存在を意識することができなくなる。世界の見え方が一つになるのだ。それ以外の視点でものを見れなくなる、と言った方が正しいだろう。そして、多くの人間は、このような視点の中で生きている、と言える。

このことは決して悪いことでは無い。当事者意識、という言葉があるように、実際に自分が置かれた立場を強く意識し、それに集中し、その中で最善の行動をとる、ということが可能になるからだ。ただし、同時にこれは大きな誤りをもたらす危険性もある。自分以外から、物が事柄が世界がどう見えるのか、という意識が働からず、時には自分以外の視点は、不当であると感じてしまうからである。

世の中にはただ一つの絶対的な正義は存在しない。人それぞれの立場に正義は存在する。ところが自分の視点にこだわっていると、自分以外が持っている正義が存在することすら分からず、それ以外の正義は悪とみなすようになる。世の中の人間関係に依拠するトラブルは、この自分の正義を絶対視することから生まれることが少なくない。


話は戻るが、この自分の頑固な視点の存在に気づいたのは、最初に「今を生きる」を観てから25年もたった後である。そうつい最近である、自分が主人公の人生を生きる、このことの価値を見出し、それを人に勧めるようになってからである。再びこの映画を観たとき、全く違う映画に見えたのは、当時の子を服愛する父親、という自分の視点とは別の視点から観ることができたからだ。そしての、この別の視点から観ることができた、という事実が、自分の視点という存在に気づけたということなだ。

みなさんはどうだろう。自分の視点というものの存在を客観的に感じることができているだろうか。自分視点を意識し、そしてそれ以外の視点で物を観ることができ、自分の視点とそれ以外の視点を行き来しながら、世界を多面的に観ることができたとき、はじめて自分の視点をコントロールすることができるのだ。


さて、自分の視点についてさらに深く探求してみよう。何度もいうが自分の視点自体はいいも悪いも無い。というよりか、自分の視点は大切にしなければならない。大切なのは、その存在を認識し、意識することだ。

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