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執筆者の写真木村尚人

スーツを着たスナフキン

視点を変える方法について本題に移る前に、もう一つ視点が変わることの衝撃について、自分の経験をもとに書くことにしよう。


あれは2018年の7月7日のことだった。この文章を最初に書いたのが2022年11月28日だから、まだ4年と数カ月しか経っていない。感覚的には10年以上経ったような気がする。人生の密度から言うと30年以上の感覚である。それほどこの4年ちょっとの年月は自分にとっては貴重な日々を過ごしたことになる。


あの日の夜、表参道から乗った千代田線の中で私はこぼれる涙を抑えきれなかった。悲しいわけでも悔しいわけでもない。ただひたすら涙がこぼれ、そしてそれをぬぐう気もおきず、ただほほをつたうがままにしていた。土曜日だったせいか、乗車客も少なかったせいか、周りの目も気にならなかった。


実はその時の私には周りの景色がまったく違って見えていたのだ。これまでの人生とは待った違う景色。今まで自分は何を見てきたのだ、何を考えて生きてきたんだ。そんな感覚。後悔でも自分を責めるのでもなく、ただただこれまでと違う景色に呆然とした、それが正直な気持ちだ。


色弱の方が色盲メガネをかけたときの驚きととまどい


まさにそんな感覚にその時の私は支配されていたに違いない。今でもそのときの異様な感覚は覚えている。


何が自分を変えたのか。ある人物の出会い、そしてその人物から述べ6時間にわたる話を聞いたことは間違いなくその要因である。ただ、なぜ自分の世界への見方が変わったのか、景色が違って見えるようになったのか、理論的に説明することできない。あえて言うならば「今までとは違う視点で物事が見え、ちがったフィルター・フレームを通して世界が見えたから」とでも言えようか。


その日は天気がとても良かった。朝なのにもうシャツ一枚でもいいぐらいの暑さだった。11時前に、表参道についた私は、地下鉄の階段を上ったすぐ先のスターバックスに向かった。そこにいたのが、その人物だった。この暑い中、三つ揃いのスーツをばっちりと着こなし、頭にはハットをかぶっている。かといって、堅苦しさは全く感じられず、その軽やかな身のこなし方は、自由で優雅で、風の様だった。


スーツを着たスナフキン


それが、実物を見た最初の印象だった。私はその人物の塾で1.5時間x4コマの話を聞きにその時この表参道にやってきたのだ。この後実際に塾の開催場所での色々な出来事はまた後に話すとして、その内容は自分の人生を変えるほどの大きな衝撃を私に与えた。


何をどう説明していいか分からないが、この後、とにかく周りの世界が待った異なって見えてしまったのだ。もちろん、自分の思考も、感情も、精神も大きく変わることになる。


振り返れば、このような大きく自分の世界に対する見方が変わる経験は過去2度ほどあった。そのたびに自分の考え方や行動パターンが大きく変わった。日々の一つ一つの行動に変化が生じたし、それ以前に、目にするもの耳にするものが、違ったものに思えるようになった。


だが、この時の衝撃はその2度に比べても、はるかに大きな衝撃だった。


視点が変わったのだ。


自分にとって重要な人物との出会いは人の視点を変え、世界の見え方を変える。そう、パラダイムが変わるのだ。私は経験が無いが、大病を患ったり、大きな災害を経験したり、大切な人を失ったり、そういうことでも、視点が変わるということだ。色々な人が、この視点が変わり、世界の見え方が分かる経験をしている。


私の次なる疑問はこうだ。重要な人物との出会いや、大病や災害の経験のような、外的な要因ではなく、自ら視点を転換し、より異なる世界を見る方法はないのだろうか。意図的に視点を変え、パラダイムを変えることはできないだろうか?


この衝撃的な一日を経験してから、様々な出来事が自分を待ち受けていた。その仮定の中で、私の「視点を変える」旅、「複数の視点を持つ」旅が始まってゆくのであった。

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