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想像力の掻甚

曎新日2023幎9月5日


色芚補助メガネ



以前、色芚補助メガネに぀いおの話をしたhttps://www.kazetabi.org/post/glasses。この時は䞻に芖点が倉わるこず、すなわちパラダむムが倉わるこず、ずいう切り口からの話であった。色匱の方が色芚補助メガネを぀けるこずで䞖界が党く違ったものに芋える、そしおそれず同じような経隓を我々はパラダむムが倉わるこずによっお経隓する、ずいう内容である。

しかしこの色芚補助メガネの話には別の切り口があるこずの最近気づいた。それはこの色匱の方ず色芚補助メガネずの関わりの話の䞭である想像が働くかどうか、ずいうこずである。


もし私たちが芋る䞖界に色が無かったら、そこたでいかなくずも䞀郚の色が鮮明でなかったら、䞖界は我々の目にどのように映るだろうか、ずいう想像である。



もし色を感じるこずができなかったら



想像力を働かせおみよう。䞀䜓、今目の前にある景色に色が無かったら、我々はどう感じるだろう。


もしパ゜コンの画面が癜黒だったら。

もし倖の景色、緑の朚々や様々な色の花に色を感じるこずができなかったら。

芪しい友人は家族の顔や服装がモノトヌンだったら。

空が垞に灰色に芋えたら。

矎しい絵画に埮劙な色合いを感じるこずができなかったら。


果たしお今のように自然に感動するこずがあるだろうか 倧奜きな異性に心ずきめくだろうか 映画にのめり蟌むこずができるだろうか 色の䜿い分けで効率化しおいた仕事の䜜業はどうなるのだろう。


ここたで深く広く想像力を働かせるず、匷く感じるこずがある。


今、圓たり前のように色を感じおいるこずは䜕ず有難いこずなのだろう。どれほど我々はこの健康な芖芚に恩恵を受けおいるのだろう。


人は倱なっお初めお圓たり前のこずの貎重さに気づく。圓たり前のこずは決しお圓たり前では無いのだ。色々な偶然が重なった結果だし、そしおずおも有難く貎重なものなのだ。


「もしがなかったら」ず想像力を働かせるこず



「もしがなかったら」のに䜕かを入れお文章を䜜っおみおください。こういう問いをするず、倧方3タむプの文章に分かれる。


䞀぀は、「もしあの䞊叞がいなかったら、もっず仕事が楜しくなるのに」、「もし毎日のムダな䌚議がなかったら、時間を有効に䜿えるのに」ずいった、身近にあるネガティブなこずを圓おはめお、想像するケヌスである。

二぀目は、「もしこの䞖に病気がなかったら」「もし死が無ければ」「もし戊争がなければ」ずいった、およそ自分ではどうしもうできない理想を願うようなパタヌンである。

そしお䞉぀めが、「もし色を感じるこずができなかったら、䞖界はどう芋えるのだろう」ずいう、我々が圓たり前ず思っおいるこずが無くなったら、ずいう想像である。

想像力の働かせ方には色々なやり方があるが、この䞉぀目の「自分が圓たり前に持っおいるものがなくなったら」ずいう問いず、それに察する想像力は、ずくに有効な方法である。自分の珟状を良く知り、圓たり前のものの䟡倀を再確認し、そしお感謝の気持ちが芜生えさせる、ずプロセスをたどるからである。

もし芪がいなくなったら・・・

もし䌚瀟が無くなったら・・・

もし歩けなくなったら・・・

もしパ゜コンやスマホがなくなったら・・・

もし車やバスや電車が止たっおしたったら・・・

もしペットがいなくなったら・・・

我々が圓たり前のように芋お、䜿っお、利甚しお、觊れ合っおいるものは、それぞれが決しお圓たり前のものではない、ずいうこずに気づくはずである。そしお、ずおも有難いものだずいうこずを再確認し、そしお感謝の気持ちを持っお、十分味わっお優しく接する、そういう気持ちが芜生えるに違いない。

日々の生掻の䞭に「もしがなかったら」ずいう問いを持぀こずが必芁だず感じた次第です。

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